どうしてこうなった!青森県津軽と南部の話

今日は青森県の話。

青森県には津軽vs南部という構図がある。
掲示板などでも同じ青森県なのに罵りあったりしてる。
なぜかと言うと、津軽と南部は元々が別の藩で、歴史的にも謀反・暗殺事件・戦争などがあり、昔から対立してきたからである。
方言も津軽弁と南部弁に分かれ、訛りのきつい人同士だと話が通じない。
(特に津軽弁が早口で難解。)

Wikipediaにも専用ページがあるくらいの犬猿の仲
津軽と南部 – Wikipedia
津軽、南部は、津軽地方と南部地方の地域呼称であるが、この記事では主に青森県内で長年続く津軽と南部の対立について取り上げる。

俺は八戸にも親戚がいるし、別に南部が嫌いってわけでは無いけど、このような文化や歴史的背景を見ると、南部は岩手に組み込まれたほうが幸せだと思うんだよね。

青森県の三大都市と言えば、青森市、八戸市、弘前市。
それぞれ特徴のある都市だから、一概に順位をつける事はできないけど、人口だとこんな感じ。

▼青森県の市郡別人口(平成21年3月末調べ)

青森市306,263津軽地域
津軽氏が治めた弘前藩、今の弘前市を中心とした地域で、他に県庁所在地である青森市(旧東津軽郡青森町)、黒石市・五所川原市・つがる市・平川市・東津軽郡・西津軽郡・南津軽郡・北津軽郡。

方言は津軽弁。
どちらかと言うと日本海・秋田側で豪雪地帯。

弘前市184,719
五所川原市61,714
つがる市38,121
黒石市37,864
平川市18,281
○津軽郡133,942
八戸市243,682南部地域
盛岡藩と同じ南部氏領の八戸南部藩、今の八戸市を中心とした地域。三沢市・十和田市・三戸郡・上北郡あたりもそうなのかな。

方言は南部弁。
どちらかと言うと太平洋・岩手側で雪は少ない。

十和田市66,254
三沢市42,688
三戸郡78,583
上北郡105,476
むつ市64,535その他の地域
俳優の松山ケンイチ出身のむつ市やマグロで有名な大間がある下北郡は中立地域かな。
下北郡18,842

全国的に見ても日本海側と太平洋側は気候や文化が違うと思うけど、青森県は本州最北なので、西は日本海、東は太平洋、北は陸奥湾・津軽海峡と三方が海に囲まれ、北海道に近い文化も多い。
そして、りんご、ねぶた祭り、豪雪、太宰治、棟方志功、津軽三味線、津軽塗、津軽弁(吉幾三・人間椅子のような訛り)など、他県の人が青森と聞いてイメージするのは、圧倒的に津軽のほうが多い。
これだと青森南部の人は面白くないよね。

津軽と南部については、この坂本サトルさんの記事が非常にわかりやすい。
今は管理されてないサイトっぽいから、保守の意味も込めて全文引用。

三戸郡南部町出身のミュージシャン坂本サトルさんの記事
隔週刊サトル Vol.01「津軽と南部」
上記サイトは閉鎖されたっぽいけど、公式ブログに再掲載されてた。
加筆修正されてるからそっち見たほうがいいかも。
再録&加筆修正「津軽と南部」|坂本サトルオフィシャルブログ

青森県の事を良く知らない人にとってはピンとこない話しかも知れないが、青森県の中には「津軽」と「南部」という2つの文化が存在している。この2つの異なった文化の誕生と対立の歴史は思いのほか古く、そしてかなり複雑である。僕も少しばかり調べてみたのだが、とにかく資料が膨大な上に、津軽、南部、双方で異なった史実が述べられていたりして、短い時間でまとめることは困難であった。
ということで、その2つの文化の歴史が、現在の青森県民生活にいまだに与えている影響や実情を述べる事で、みなさんには何となくそんな青森の人々の心情を知ってもらえればと思う。
読みやすさを優先し、津軽と南部の簡単な歴史、僕が知っている事実、そして実際の体験談、青森での常識、等を箇条書きで以下に記す。歴史家をして「1つの都道府県に複数の文化が混在しているのは珍しいことではないが、青森県ほど極端な例はないだろう」と言わしめる青森。さて、あなたの目にはどう映るだろう。

【歴史】
1,「津軽と南部の文化」とは、言い換えれば「旧津軽藩と旧南部藩の文化」である。
2,おおまかに言って「津軽」は青森市、弘前市を含む西半分、「南部」は八戸市、南部町を含む東半分である。
3,私の故郷「南部町」は、その名の通り、南部藩発祥の地である。
4,よって、私は南部のなかの南部の男である。
5,長く対立姿勢を続けてきた南部藩と津軽藩は戊辰戦争においても、南部藩は幕府軍を津軽藩は新政府軍をそれぞれ支持し、敵対関係となる。
1868年、現在の青森県野辺地町で勃発した野辺地戦争では、津軽軍と南部軍が交戦し津軽軍の兵士27名、南部軍の兵士6名が戦死。
戊辰戦争においては、周知の通り新政府軍が勝利。よって津軽藩は官軍、南部藩は賊軍となった。
6,1871年、廃藩置県。紆余曲折を経て、津軽藩と「南部藩の一部」が青森県となる。
7,県庁所在地選定時にも旧津軽藩サイドは青森市を、旧南部藩サイドは八戸市をプッシュ。結局青森市に決定するのだが、それに納得しなかった南部の人間は、青森県庁に対抗して市役所を「八戸市庁」とする。この「市庁」という言い方をするのは全国で八戸市のみ、と教わっていたのだが、調べてみると奈良県奈良市も「奈良市庁」という言い方をしていた。他にもあるのかも知れないが、どちらにしろその数は少ない。

【事実】
1,僕は、デビューするまで青森市に行った事がほとんどなかった。
2,よって青森の「ねぶた」も弘前の「ねぷた」も一度も見た事がない。
3,うちの実家もそうなのだが、南部で岩手に近い場所に住む人々の中には、アンテナを盛岡(岩手県の県庁所在地)に向けて立て、岩手のテレビ番組も見れるようにしている人が意外に多い。ちなみに岩手の「方言丸出しCM」で使用される方言は「南部弁」である。
4,青森県の2大都市である青森市と八戸市の道路を使った場合のアクセスの悪さは、ある意味異常である。

【言語】
 津軽と南部の最大の違いはこの言語である。イントネーションどころか単語自体が違っている事も多く、それにより様々なドラマが生まれる。ここで紹介するのは、僕や家族の実体験である。
1,それぞれの土地にその土地の方言を使ったローカルCMが存在すると思われるが、もちろん青森にも「方言丸出しタレント」が存在し、そして「方言丸出しCM」が存在する。そしてこの場合、使用されるのはほぼ100%津軽弁である。自分達が普段使っている言葉とは全く違った方言が「青森県の方言CM」として流れていることが、南部弁を話す人々にとってどれほどしっくりこないかを想像して欲しい。
2,僕が大学生の時。体育でバスケットを選択したのだが、教官が各都道府県別に別れてチームを作ろう!と提案。そうして集まった我が青森県チームはメンバー5人中、南部出身者は僕だけであった。
まずは「チーム名を」ということでみんなが知恵を絞る。1人が「ドンズがいいんじゃねえか?」と言うと、残りのみんなが「あっはっは。そりゃあいい!」と盛り上がり、我がチームは「ドンズ」に決定。1人その意味も、なぜみんなが笑ったのかもわからず、あやふやにヘラヘラと笑うだけの私。「ドンズ」が「お尻」あるいは「ビリ」を意味すると知ったのは翌日の事であった。
3,僕の1番下の弟が小学1年生だった頃の実話。この話をする前にまずは予備知識を。
津軽弁の代表的な言い回しに「はんで」というのがある。これは日常よく使われる接続詞で「だから」というような意味をもつ。例えば「これ使うはんで、なげんなよ」は「これは使うから、捨てるなよ」(「なげる」は「捨てる」の意)だし、「したはんで、わ、いげねー」は「そういうわけだから、俺、行けない」となる。で、弟の話。
授業中、津軽出身のその先生はクラスのみんなに「ねんどやるはんで、準備して」と告げた。と、突然立ち上がり、机をくっつけだす子供達。そう、津軽弁をほとんど聞いた事のなかった子供達には先生の言葉がこう聞こえたのだ。「ねんどやる班で、準備して」
先生の指示に従って班ごとに机をくっつけようと動き出す子供達。勝手な行動を取る子供達に驚き「何やってんだ!」と叱る先生。子供達にしてみれば言われた通り動いているのになぜ先生が怒っているのかわからずあっけにとられる。先生も生徒も全員が頭の上にクエスチョンマークである。
1人が「だって先生が『班で』」って言ったでしょ?」と説明をして先生ようやく状況を飲み込む。
後日、生徒からその話を聞いた父兄が「授業ではなるべく津軽弁を使わないで欲しい」と学校に申し出て、職員会議の議題に…。
4,そんな環境で育っていった僕らが東京なんかに行って「青森出身です」と言うと、かなりの確率で言われるセリフ。
「津軽弁話して!」「津軽弁出ないですね」(「青森弁話して!」ともよく言われるが、この場合、その人がイメージしているのはほとんどの場合津軽弁である)
「いや、僕が住んでたとこって津軽弁じゃないんですよ」と言うと「またまた、恥ずかしがっちゃって」…。
もうね、心の中でそいつにゲンコツ食らわしてます。

とにかく、県内で、県外で、「青森県=津軽」という図式に出くわすたびに違和感や浮遊感や、やるせなさを感じてしまう南部の人々。さらに全国的に「南部鉄器」「南部せんべい」で知られる南部というのは岩手県のことだし。ああ、なんというモラトリアムな存在。「青森南部」よ。
他にももちろん、細かい事はたくさんあるのだが、津軽と南部の歴史と現状、なんとなくわかってもらえたのではないか。
何度も何度も「こんなもんは所詮過去の事」と切り捨てようとするのだが、その度に、その確執の根深さを目の当たりにする事があって、僕はその度にカウンターパンチを食らってしまうのである。

実はつい最近もビシッと、割とキツめのやつを一発お見舞いされてしまった。
津軽地域にあるショッピングストアでイベントライブをやった時の事。
客入りは上々、ライブ自体も非常に盛り上がって、僕は良い気分で控え室に戻って来た。と、そこであるスタッフがこんな話をしてくれた。
実は僕を呼ぼうとしたのはこれが2度目のことだったと。1度目に呼ぼうとした時に、当時の店長のこのひと言で僕のライブは却下されたのだという。
「南部出身のやつにはうちの店ではやらせない」
当然、この店長は津軽の人であった。店長が替わり、ようやく今回のライブが実現したというわけだ。

「いつまでも昔の事を」とはもちろん僕も思う。しかし、134年前の戦争はある人々にとっては「たった134年前のこと」なのかも知れない。
誰かが歌っていた。(俺だ)
「癒すのは時の流れだけとわかってはいるけれど、いつまで待てばいい。こんな気持ちで待てばいい」
歴史というのは教科書に書いてある「テストのために覚えなければならない項目」ではない。僕らはその歴史の上に今の生活を営んでいるのだ。
なんてことをあらためて思う今日の私。
高校生の頃にこれに気付いてたら歴史の成績はもっと良かったのになー。

後日追記:
「市庁」というキーワードでGoogle検索すると、1ページ目には八戸市庁と韓国の市庁駅しか出てこない。
あとは、横浜市や奈良市も市庁を名乗ってるとの情報があったので検索してみた。

「八戸市庁」 約 3,330,000 件
「八戸市役所」約 1,180,000 件
「横浜市庁」 約 581,000 件
「横浜市役所」約 37,600,000 件
「奈良市庁」 約 126,000 件
「奈良市役所」約 9,520,000 件

他は圧倒的に市庁より市役所が多いのに対し、八戸だけが逆転している事がわかる。
他にも市庁の看板を掲げるところがいくつかあるけど、八戸市以外で市庁という単語が見られるケースは、行政機関としての市役所は市役所で、市役所の建物を「市庁(舎)」と呼ぶケースが多い。
しかし、八戸だけは行政機関としての市役所も「市庁」として明確に扱っている事が多い。
他の市の「市庁」とは言葉の意味合いも重みも違うように感じられる。
青森県庁に対抗する意識が今でも残っているのかは疑問だけど、何らかの意図が無ければこのようにはならなかっただろうね。

2014/10/23追記:
秘密のケンミンshow でも取り上げられてた。
ちょっと前に月曜から夜ふかしでもやってたかも?

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8件のフィードバック

  1. 青森にお嫁に来たばかりなので、記事をいくつか読ませていただいて「そっか、そっか!」ととっても勉強になりました。
    以前、その彼とは遠距離で彼は八戸にいたんですがイントネーションがすごい変化あってビックリしたんです。でも、方言っていう方言はあまり感じなかったんですよね~でも、今年青森市に赴任先が変わって私もついてきたんですが方言のオンパレードでビックリ!
    「じゃんぼかる」とか「あずましい」とか「むったど」とか・・・まぁ、私には聞き取れない方言の嵐で。
    でも、青森市の人が特になんでしょうか。南部が嫌いって言う人がとっても多いですね。
    私は、仙台だったので八戸の方が好きなお店やテレビもフジがあったりと近い気がするんですよね。話には聞いていたんですが、この記事を読んでより理解が深まった気がします。
    地方から来れば青森県のひとくくりなんですけど、言葉や文化なんかは全然違うっていうのは暮らしてみないとわからないことだなって感じます。

  2. はじめまして
    記事からもわかるとおり、八戸は完全に岩手の文化圏なんだよね。
    他県の人から見たら、津軽も南部も関係なく青森県なんだけどw
    仙台にも住んだ事があるけど、同じ太平洋側で気候も似てるかな。
    俺も津軽のほうが南部を嫌ってるような気がする。
    青森と言うと津軽のイメージのほうが強いのを、
    南部の人はもう諦めてるというか、割り切ってる気がする。
    mixiの津軽弁コミュだったかな。
    新青森駅で「せんべい汁」を青森名物をして売るのはおかしい。
    っていうトピックがあって、賛同する意見が多かった。
    青森市名物として売ってるならおかしいけど、
    青森名物なら県くくりで別にいいじゃんと俺は思った。
    県外からの利用客は青森市だろうが八戸市だろうが青森だし、
    青森県各地の名産品を買えるのは便利。
    つか、どこの県も同じような事をしてる。
    このトピックを見て、やっぱり津軽のほうが南部嫌いが多いんだなと思った。
    同じ県なんだし、足の引っ張り合いをするのではなくて、
    切磋琢磨して、県全体を盛り上げていけばいいのに。と思う。

  3. 青森市出身ですが正直そこまで対立していると思えない。
    これは単に南部の人と交流ないからも知れませんが・・・
    ですが、今の10代20代は確実にそんな因縁は知らないし意識もないと思います。
    津軽の人が南部を嫌っているというのは、やはり南部の方も津軽を嫌っているからなのではないかと思います。
    相手は自身を写す鏡でもあります。

  4. 嫌韓や反日みたいなもんで、その情報だけ見ると勘違いしてしまいますね。
    全ての日本人が韓国を嫌いなわけでもないし、日本大好きな韓国人も多いと思います。
    津軽と南部の問題も一部の人がそう思っているだけで、普段の生活では何も感じません。

  5. 東北訛りで一括りされるより、津軽弁と南部弁を混同される方が我慢ならん。
    そして、青森は津軽弁という安易な発想も腹がたつ。
    同じ県同士云々と言うが、こればかりは理屈ではない。
    そもそも、県の区分けは明治政府が勝手に決めた事だ。同じ県同士と言われても困る。
    例えば、外国で東洋系の他国人と同一視されれば不快になるのと同じだ。
    私は津軽に敵意はない。しかし混同するな。それだけの事だ。
    南部地方の言葉に文化に歴史。これは南部地方のアイデンティティの根幹である。
    上記にあるように、感情の問題だ。
    もはや地域ナショナリズムである。
    この感情は人によって差があるようだ。
    高齢な人ほど、この感情が強いようだ。

  6. 確かに青森住み=津軽弁ってところはあるけど…仲良くすれば良いのになぁ…
    私は八戸だけど、津軽はねぶたとか凄いし南部も種差海岸とか美しいしお互い良いところたくさんあるのに….
    どちらも同じくらい好きだしおんなじ県なんだから良いところを見て高め合えばそれでよくなるんじゃないかなぁ……

  7. 津軽弁と南部弁がけっこう違うというのはテレビなどで薄っすら知ってましたが、東と西でここまで根深い溝があるとは驚きました。
    そして主さんの怒りがひしひしと伝わってきました。
    「もうね、心の中でそいつにゲンコツ食らわしてます。
    」笑いましたw
    自分は残念ながら主さんとは縁の薄い九州の者です。もし私が知人が青森出身だということを知って津軽か南部かどっちだ?という咄嗟の気遣いはできないですね。
    もし私のような未熟者に出会っても悪気は全くないので大目に見てあげてくださいw
    今後はこのブログで教えていただいたので、なるべく失礼がないようにしますね。
    自分の地域の文化や伝統に誇りとプライドを持つことは良いですよね。かっこいいです。
    これは日本全体にも言えるでしょうね。
    それと主さんに言うのも失礼な話で恐縮ですが、ほかの地域の例として言いますと、私の地域では県内に旧藩の境がいくつかありますが、方言も似通っており、地域のいさかいや差別的言動はめったに見かけませんね。(親や祖父の世代では違うのかもしれませんが)
    大変興味深いお話でございました。失礼します。

  8. 津軽の殿様はもともと南部藩の家来だったらしい。
    ところが謀反を起こして勝手に津軽藩を起こしてた。
    そして、当時の天下様だった豊臣秀吉から藩主として認められる。南部藩にするともともとは我々の土地だったという思いがある。
    また、明治になってから中央政府に反抗する土地を少しでも少なくしたかった。それで敵対していた津軽と南部をくっつけることで、お互いにいがみ合って不満が中央に届くことはなかったらしい。

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